帝国ホテルや自由学園明日館を設計したフランク・ロイド・ライトの弟子で、北海道に渡り、住宅を造り続けた建築家でありバイオリニストでもある、田上義也の昭和3年(30歳前後)の作品のプレイリーハウスです。ガレージ賃貸番外編の売却戸建です。
呼称のプレイリーハウスとは、草原住宅の意。横へ広がり低く抑えられた建物に、軒の深い屋根が覆いかぶさって、大地と一体になったデザインが特徴で、ライトの代表作に見られるスタイルです。
函館の実業家佐田作郎邸として建てられ、のちに小熊小五郎の手に渡り、最近まで喫茶店として運営されていました。
大きくせり出した軒、窓の亀甲形モチーフの組子割、腰掛のような階段の笠木は、兄弟子の建築家・遠藤新の加地邸でも見ることができるスタイルですが、外観には大谷石やスクラッチタイルは使用しておらず、このエリアでよく見かける下見板張りです。
前面の道路から見える玄関はお勝手口で、正面玄関は白い木のゲートを通って庭に面したところにあります。玄関の右手には応接室、左手に食堂と台所。食堂の先にはお勝手口から続く玄関ホールを介し、プライベートエリアとして利用されていた8畳の和室2間と、中庭を囲むL字型の配置です。
八角形の応接室は小樽の坂牛邸でも見られ、藤森照信さんの「昭和住宅物語」によると、坂邸の原案にも温室としてあったそうです。
新宿区の河田町にある小笠原伯爵邸にもシガールームとしてこのようなスペースがありますが、一つのテーブルを囲むように大勢が車座になれるスペースを持つことは、この当時のひとつの嗜みだったのでしょうか。
亀甲型モチーフの窓を抜けて差し込む光が、この空間が積み重ねてきた歴史に誘ってくれるようで、心地よかったです。
応接室から中庭を挟んで反対側は、広縁に和室8畳の2間が並ぶ和風。井桁に独特の文様をあしらった組子のガラス戸から眺める中庭は、取材時は、紅葉が赤いじゅうたんを作っていました。
2階は洋室に改装し、アトリエ兼ギャラリーとして利用していたそうです。ここには屋根裏部屋もあります。
数年前に一部改修工事を行い、暖房はセントラルヒーティングに、キッチンや浴室、トイレは現代風に改修されています。キッチンはカフェを運営していたほどですので、広く使いやすそうでした。
横浜や神戸、長崎といった港町には必ず存在する、外国人が多く住んでいた旧居留地や元町。港を見下ろす高台にあり、当時の洋館が保存され、素敵な町並みを残しているところが多いですね。プレイリーハウスも、西部地区と呼ばれる元町エリアに建っています。
西部地区は、東京近郊で例えると、横浜の山手地区でしょうか。洋館が多く残り、建築好きには垂涎の地域ですが、函館の魅力は、特定のエリアだけでなく、町をただ歩いているだけでこういう建築物や住宅を見かけること。
和洋折衷の擬洋風建築や、チンチン電車がまだ現役で走る、時が止まったかのような昭和レトロな町ですね。
いつ行っても変わらない町並みや空気感で迎えてくれる安定感に、ほっとします。
※歴史的な建築物ですので、オーナー様は、建物の維持管理や利用方法について、きちんとしたヴィジョンのある方を希望しています。
※文化庁の登録指定文化財ですので、改修等に際しては、文化財保護法に鑑み、所定の届出が必要になることや一定の制限がかかることがあります。
※函館市の景観形成指定建築物です。
※間取りは、現地で書き取りの上作成したものです。現況と異なる場合もあります。
※家具は、オリジナルではありません。家具の譲渡も相談に応じます。
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函館 西部地区 元町 田上義也
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